ラグビーは手段でもあるし、目的でもあります。用法・用量をよく考えましょう。

2018年8月20日月曜日

オピニオン ラグビー

手段と目的


最近
手段と目的」という切り口で
物事を考えることが多いんですよね。

もともとは
何かを考えようとしたときに

ただ漠然と考えていても
なかなか考えが深まらなかったので

考えるためのフック(とっかかり?)を
自分の中で持とうと思って
この切り口を使い始めました。


使い始めると
これが結構役に立っている気がするんですよね。


ということで

今回はスポーツ
手段と目的という切り口で
考えていきます。



では、さっそくお堅い話を

さあ考える前に
そもそもスポーツってなんやねん!
というところからやっていきましょう。


スポーツの語源
「運び去る」を意味する
ラテン語の deportare (デポルターレ)だといわれています。

これは
そのままの物質的な運搬・移動という意味だけでなく

日常的な生活や仕事を離れる
身体的・精神的な解放という意味も含まれています。


つまり
スポーツは非日常的な「遊び」という意味
を含んでいたんですね。


これは現在においても
特に異論は感じませんね。



スポーツの定義

学術的なスポーツという言葉も
「遊び(play)」を中心として考えられてきました。


スポーツ史学者のベルナール・ジレは

スポーツを
「遊戯」「競争」「激しい肉体的活動」という

三要素から定義し
遊戯を第一の要素にあげていますし



スポーツ社会学者のアレン・グットマンも

「遊戯」を基底において

組織化された遊戯を「ゲーム」
競争するゲームを「競技」
肉体を使う競技を「スポーツ」

と定義しています。




ほぉ、じゃあ遊戯って?

確かに、気になりますよね。
「遊び」みたいな意味でよいのかどうなのでしょうか。


オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガは

遊戯「真面目ではないもの」
と大きく括った上で

遊戯の形式的特徴として
「自由」「非日常性」
「没利害性」「時間的・空間的完結性」
などをあげました。


いまでいう
プライベートな時間というか
結局「遊び」という言葉がしっくりくる感じがしますね。



ということは・・・

いよいよ
本題に入っていきます。


手段と目的という切り口で考えると

スポーツは
語源と定義から考えると

それ自体が「目的」である
または
「目的」的な活動である

といえそうです。

ただ楽しいからスポーツをする
みたいな感じですね。


しかし
いま現在「スポーツ」は

ストレス解消のためにとか
健康のためにとか
勝つためにとか

様々な目的のための
手段としても使われていますよね。

これはいったい
どういうことなんでしょうか。



手段としてのスポーツ

ここでは
日本におけるスポーツを考えていきます。


日本におけるスポーツの始まりは
明治時代でした。

当時のスポーツは
文明開化の時期に欧米から持ちこまれた文化のひとつだったんですね。


この時期はまだ
スポーツは「目的」的な活動として捉えられていました。


ところが
戦後から様子が変わってきます。

スポーツが教育改革に使われるようになるんですね。


簡単にいうと
生徒の自発活動を中心とする
個性を尊重するための教育をすすめる上で
スポーツが利用されたんです。

それでもまだ利用され始めた当初は
「目的」としての側面が強く出ていたんだと思います。


しかし
少しずつスポーツに人格を形成する機能を見出して
人格形成のためにスポーツが利用されることになっていきました。

こうして
「手段」としてのスポーツが
一般的になっていったんですね。




まとめてみましょうか

「遊び」という側面から見た
「目的」的な活動としてのスポーツは

手段化してしまうと
良い部分が消えてしまう
ということがあります。

楽しいはずのラグビーが
部活を通してキライになるとか。


ですが
手段としてのスポーツにも
もちろん良い面はあるんですよね。

勝ち負けにこだわるからこそ
感じることがあったり
成長が望めたりしますから。


なので

まずは
スポーツには2面性があることを理解すること
が必要です。

つぎに

自分がしたいのは
手段としてのスポーツなのか
目的としてのスポーツなのか

を考えることですね。


ぶっちゃけてしまうと
個人でスポーツする分には
そこまで考える必要はないです。

ちょっとでも意識したほうがよいなと思うのは
指導する側ですね。


手段としてのスポーツは
つらいこともあります。


相手との信頼関係や
コミュニケーションをしっかりとれていない場合

手段としての側面だけでは
そのスポーツにはなんの意味もないかもしれません。



参考資料

なぜスポーツは学校教育へ結びつけられるのか
 -運動部活動の成立と〈子どもの自主性〉の理念-
中澤 篤史